Mac導入から40日目
M1 Macbook air を導入してからひと月を過ぎ、40日ほど経過した。
今の状況を少しだけ。
職場環境としてモノが動き始め、正直「超多忙」な状況。コロナの影響で例年より若干は扱い量が低いとはいえ、人員が半減、いや3分の1になった今、従来より濃密内容でガンガン回ってくる仕事のお陰で「さわやかな疲れ」で終わりたい一日が「ヘトヘト」な毎日で続いている。
当然、「副業」という概念は消し飛び、周囲は「コロナのせいで暇そう」なのに、自分の居るセクションだけはちゃんと仕事が回せるだけに、より集中してくるため、「時間ができたのでやろう」という余裕が全くなくなった。
これで「暇そうな奴ら」とギャラ同じか、むしろ高いのだから余計に解せない。
しかし、どこかスキマ時間を期待するところがあって、MacBookは毎日持ち歩いている。そのために買ったリュックなので、重いとかしんどいとか言うことはない。雨でも不安なく移動を伴にしている。
そんなわけで殆どの場合、会社へはMacBookを持っていくだけで、帰宅してから立ち上げる、という毎日。
まず毎朝、画面を開き立ち上げるのは「Notion」。今流行のメモアプリだ。メモアプリというには機能が充実しすぎていて、使いこなせている人間はなかなかいなさそう。それに毎朝日記をつける。日記というかTodoリストでもあり、アイデアノートにもなり、ブログのネタ帳にもなる。この原稿もまずは「Notion」で書き起こして、あとでブログに貼り付ける。
場合によっては写真も使う。写真編集アプリには使い勝手の差で迷いに迷ったが、今の所「photo scape X」に落ち着いている。
朝、あるいは帰宅してからの立ち上げで、必ず起動させるのは「Logic pro」。毎日何でもいいから新しい機能を試す、ということをやっている。操作にはやく慣れたいし、せっかく覚えた操作もすぐに忘れてしまう。とにかく手に覚えさせたい。
マンガ本を読むようになった。大きくてきれいな画面でコミックを読む。スマホの小さな画面では気づけない伏線的な表現もこれならじっくり堪能できる。honto はビューアとWEB、どちらも使う。KINDLEも入れた。まさしく文字通りのMac「Book」である。
で、ここ最近ハマりかけているのは「Final Cut Pro」。これもせっかくインストールしたのだから、使いこなしてみたいと、動画を確認しにいったら意外に操作が簡単そうだったので、今は素材集めで撮影の機会をうかがっているところ。何でも良いから体験しておきたい。
本来はこのMacBook。『武器』として使いたいのだ。最強の「魔導書」としてのMacBook。
使い方として、今の所は娯楽的な使い方に終始してしまっている。
がしかし、残りの人生、いや「強くてニューゲーム」としてもう一度、自分の人生をやりなおすくらいの心意気でこれからの生活をより良くする、そのためのツールとしたい。
聞く、聴く
最新JPOPを聞く。もう年寄りとしての自分の常識では、楽器は肉声に近付けるように、肉声で歌えないような旋律を表現するためにある、という認識だった。
しかしながらYOASOBI等を聞いていると、肉声を鍵盤のように駆使して表現する、という感じになっているようだ。ゲーム音楽をキーボードで弾いたような旋律を肉声で表現する。
「うん、いい!」となるまで聞き込むには少し無理がある歳になったのがショックだが、この類が今の人達には「ささる」ということはちゃんと知っておかなければならない。時代は変化するものなのだ。
演歌がいい!と言っていた世代を、自分自身がその年代になれば身に沁みてくるものなのだと思いこんでいたが、一向にその気配はなく、自分自身の時代で自分自身が身震いするほど心に響いた楽曲がやはり、いくつになっても、いや、むしろ歳を重ねるごと「青春時代」という甘美な想い出をベースに熟成され、涙がとまらないほどに琴線を震わせる。(聴くという言葉を当てたい楽曲達)
これらの最新楽曲が彼らの世代にはやがて、いや今でも「今日を、明日を頑張る。楽しむ」原動力になっている、ということを、自分のそれに置き換えて知っておくべき。
というか、便利だよね。アマプラ加入しているので「amazon music」のおかげで、ジャンルとしての「Hot in Japan」なんていうのを一覧で聞けてしまう。
ホントにhonto?
この日記は今話題のNotionで下書き、ブログに使えそうならはてなへコピーして、という形で書いている。練習の意味もあって毎日何かを書きたいが、その日のTodoだけになってしまったりとか、プライベート過ぎる文面もあるので、出せるものだけ出していく、というスタイルになっている。
MacBookのキーボードのタッチ感が気に入ってしまって、というよりこのマシンに触れているという一点だけでも気分が上がるのだろう。3月10日、コイツが届いてひと月。愛着は高まるばかりだ。
hontoというサービスを利用し始めた。それこそひと月前くらいに一度アプリを入れたことがあったのだけど、結局電子書籍はKindleだけで十分、と即アンイストールしてしまっていて、アカウントは残っていたので再インストール。何故か。ここは割引のキャンペーンが恐ろしく有用。気になっていたあるコミックの全巻セットがフリマで出ている中古よりも安い。こんなことある?と、さっさと買ってしまっていた。
おそらく中古なら再販して、元は取れなくてももっとコスト的には安く上げられる。
でも今この時点、本は持ち歩いても読むスキマ時間がない。いちいち持ち歩いて、取り出して、ページをめくる、その間に信号は変わってしまうし、つり革を持つ手は離せなくなる。でもスマホなら…というわけ。メインPC(WIN10)にも、このMacBookにもアプリを入れておいて、どこでもどんな環境でも読める。Kindleですでにその利点は身に沁みて理解してるので、そのコスト差はないに等しい。
それに、「無料の本」がかなりたくさんあるようだ。質もなかなか無料とは思えない、まさにいろんな作品に出会うための良質なシステムのように思える。
…ま、また可処分時間が…
この音とまれ!
「この音とまれ」をイッキ見。最後の26話なでみたら3時を過ぎていた。泣けた。泣きすぎ。ガッツリ青春ストーリー。ベタベタ。最後のさとわちゃんの子供泣きが一番アカンやつだった。このストーリーの根幹的要素のひとつ『報われた』感の最大値。
学んだこともいくつかある。
音楽をやるなら、良質の音楽を聴きまくること。全国レベルの演奏をしたいなら「何が良い曲、音なのか」を身を以て知るということ、滝浪顧問が持ってきた大量のCD。あれは覚え込まなくとも身に沁みさせるという感じなのか。
「見様見真似」は格段にレベルアップできる近道。上手い人を間近で、何度もみて真似て身に叩き込む、ということ。
「音を届ける」という気持ちから出る表現は訴えかけがより強くなる。
負の気持ちも、どうしようもない陽の気持ち(恋心も)もそれを表現のパワーに変換すること。
こういう作品に出会えるからネトフリは止められない、やめては行けない。
心を揺さぶる時間は人生の時間として使って良いはずだ。
春香
桜の次は菜の花。
季節を身近に感じることができるのは田舎暮らしの特権と言えるだろう。
菜の花というのは意外にキツイ臭いがする。
しかし歳を重ねるにつれて、これが「匂い」に変化する。
春、独特の香り、になるのだ。
GWにはこの野っ原一面に黄色が敷きつめられるはず。
ところで。
また、ブログ更新が止まってしまった。
3月末の東京の非常事態解除は日本のあちこちを「起動」させはじめ、その勢いがついに大阪にまで届いたようで、急に多忙になる。
しかし、多忙なひとだけ多忙で、上手く立ち回れるやつだけ未だ時短気分で16時過ぎにはもう会社にはいない。
多忙なひと、のひとりである自分は「時短」もなんのその。
日中も2つ3つの仕事を同時にこなし、本来なら副業に当てられるこの時間も侵されて夜遅くまでやらなければならない。これでギャラ一緒、って不公平極まりない。
愚痴っても仕方のないこと。
ただ、「発信の時間」は別に確保する必要が出てきたが、まだその糸口が見えない。
今日は本業を文字通り「投げうって」切り上げ、この時間を作った。
定期的にこれをやるか?
いや、この始末は結局未来の、「明日の自分」に投げつけただけ、なのだ。
考える力のあるうちに…考え抜かないと。
…というか、この一番いい気候のうちに、だわ。
ベストシーズンは一瞬で過ぎ去ってしまい、すぐに茹だるような暑さの夏がくる。
思考が止まってしまう前に。。
音を重ねていく過程
まずはメロディーから。それもわかりやすい部分、つまりはサビから。
耳コピして音をひとつひとつ入れて、一区切りして流して聴くと「それっぽく」なる。
サビ部分を後ろに移動させて、次はAメロBメロ部分にとりかかる。
本当はメロディーだけを最後まで通して入力するのが良さそうなのだが、少し飽きが来始め、もう少し変化をつけたくなる。
後で編集がややこしくなりそうなのだけど、先にハモリを入れてみる。
主メロを3度上げ下げするだけの作業。通して流してみて満足!気持ちいい。
更に欲がでてしまい、一部ベースを耳コピしてきてこれも流し込む。
こうして音をどんどん重ねるごとに『曲らしく』なっていく。
気持ちいい…
あ、時間だ。今日はここまで。。