梵字を習う 3日目
文字そのものが仏様。
簡単に、容易に扱うものではない、ということはこの本でも厳しく戒めとして語られています。と同時にもっと身近なものとして日常生活に取り入れてもいいのでは?その存在に感謝しつつ、身につけることができるように解説をする…それが本書の趣旨であることも述べられています。
その内容にインスパイアされ、記録として残していきます。
3日目 吉祥天
インドの美と豊穣の女神、ラクシュミ。日本においては経済的繁栄、
平和と幸福をもたらす仏様。
「美の形成」「五穀豊穣」「商売繁盛」「家内安全」
この文字を折り鶴にしてみました(翼の部分に来るように織り込んでます)
商売繁盛ということは金運アップ的な期待を込めて財布に入れてみてもいいかもですね。
欲しいとおっしゃられる方が居られたらお譲りします。
一言でもコメントがあれば後日、別の記事にしてお渡し方法について検討したいと思います。
ロシア語
ロシア語
飽き性の自分がもうずっと長きに渡って興味を持っているもの、好きなものの一つ、ロシア語。中学生の頃、たまたま本屋で見かけたロシア語会話集。その独特な文字を初めてみた時の衝撃。「英語・ローマ字以外に文字があるんだ」「しかもなんか知ってる文字なのに所々ひっくり返ってる!」それが始まりだった。
その後間もなくしてBCL(海外ラジオの聴取の趣味)にハマって、特にモスクワ放送へは航空便を何度も飛ばして(いわゆるSIMPO(受信状態報告書)とか)、リクエストに答えてもらったり5回や6回くらいは実名も呼ばれた。
当時は鉄のカーテンの向こう、極悪非道の共産主義国家、敵対国家扱いでもあった「ソ連」は、私にとっては深い馴染みのある、興味深い国であった。むしろ、そうやって情報が少ないだけあって、アメリカ偏重の中にあって。自分だけは彼の国のことを理解できる稀有な人間だとさえ、思っていた。
おかげで大学はロシア語を専攻。卒業旅行にはあえて厳寒期にシベリア鉄道を使ってモスクワからレニングラード、どうしても行っておきたかったボルゴグラードへも足を伸ばした。
「世界は二つに分かれている。そのもう一方の、向こう側の世界の中心に立っている」
2月の赤の広場は荘厳で、美しく、とても広大だった。
しかしながら就職し、数十年経った今、当時のように話すことも聞き取ることもほとんどおぼつかなくなってしまったロシア語。使わなければ、ずっと触れていなければ外国語は覚える時の数百倍の速さで忘れ、こぼれ落ちていく。
忘れたくないし、まだ、好きであることは間違いない。ロシア語に関する書籍は時折「ジャケ買い」的に手に入れることが多々ある。特に黒田龍之介先生の本は蔵書として大切に、いや、いつでもすぐ手に取れる範囲の本棚に備えてある。
もう一度、もう一度学びたい。
母校は学部再編で「ロシア学科」は消滅してしまった。
当時の恩師は故人になっていたり、母校を去ってしまっている。
確か当時の教科書をまだ残していたはず。今度発掘してみよう。
ちょっと思ったのだが、今のご時世、ネットでどこからでも何でも手に入りそうなので、例えばロシアから直接、ロシアの子供たちが初等教育で学ぶロシア語テキストを手に入れてきて、勉強してみるのもありかな、と。
この2方向から「もう一度、ロシア語」にチャレンジしてみよう。
このブログを通して、その内容を公開してオリジナルの「ロシア語講座」としても面白いかもしれない。
M1 MacBookで半年
MacBook運用6ヶ月
半年経って今のデスクトップの状態。もうずっとこれで固定。
Mission Controlの便利さ。三本指でトラックパッドを左右に振れば机上のアイテムが一瞬で変わる。マルチタスク環境をいつでも維持できている快適さはもう戻れない。
デスクトップ1… Google Chrome (メール・ネットブラウザ)
デスクトップ2… Notionとメモ帳 (記録・日記・ブログ下書き)
デスクトップ3… logic Pro X(DTM)
デスクトップ4… Kindle (読書)
デスクトップ5… honto (読書)
デスクトップ6… TweetDeck (アカウント3つ分のタイムライン一覧)
デスクトップ7… フリースペース(写真加工など)
バッテリーは相変わらず3日に一度くらいの充電ペース。残量30%くらいで就寝中に100%に戻すような感じ。
本をよく読むようになった。漫画本もこの大きさなら十分なスペース、迫力で楽しめる。小説もバックをナイトモード(黒色背景)にして目に優しい感じにして楽しむ。
DTMはUSBの口を一個使用。分岐させてMIDIキーボードとマウスを使うようになった。時々、USBマイクも追加。
毎日出勤時も持ち歩いているので、仕事場で昼休みにlogicをいじることもある。主にミキシングなのでヘッドホンがあればこのMacBook一台で何とでもなる。
梵字を習う 1日目
「梵字入門」を入手しました。
「願いをかなえるお守り文字」というサブタイトルに惹かれ、町の図書館にあるのを発見、中身を確認するうち、きちんと手元に置いておきたくなり購入しました。
もともと「文字」に興味があって、中学生の頃には英語とは似て非なるロシア文字に魅せられ、学校でロシア語を専攻するようになったり、アラビア文字で遊んだりしてきた経緯もあって、このサンスクリットな文字にも惹かれるものをずっと感じていました。
文字そのものが仏様。
故に、簡単に、容易に扱うものではない、ということはこの本でも厳しく戒めとして語られています。と同時にもっと身近なものとして日常生活に取り入れてもいいのでは?その存在に感謝しつつ、身につけることができるように解説をする…それが本書の趣旨であることも述べられています。
有り難くその本旨を受け止め、単に興味本位で、外国語の文字として覚えるのではなく、幸せをもたらす力を秘めた神聖なものとして、向き合っていきたいと思い、その記録を残せるだけ残していきたいと思います。
人生日々是勉強。
1日目 普賢延命菩薩
健康で長生きするための梵字
「延命」「長寿」「健康」「病気治癒」
サボる
サボっているわけではない。
気まぐれで書きたくなったら書く。そういうスタイル。
書く気力がなくなってしまえば、書けない。
コロナのおかげで仕事が圧倒的に暇になった、というわけでもないが、どうもペースが崩れがち、安定しないので何だかとても疲れやすくなってしまっているようだ。
そのせいなのか、書きたいという気持ちはあるが、書けない。
書きたくなっているのに、なかなか行動が伴わない。
これをサボりというのだろうか。
うん。サボり、とも言うな。やっぱり。
9月になったということで、ある種の節目、きっかけとしてはいいスターターとも言えるので、少し「工夫」を凝らすことにした。
まず、とにかくエディターを立ち上げて『書き始める』。
「最初の一歩」が肝心なのだ。
そのエディターは立ち上げやすくする。気持ちよく書けるようにする。
マックならF4でスポットライトが起動する。そこに「メモ」と入れればメモ帳が起動する。Siriに語りかけても良いだろう。
IMは慣れ親しんだGoogle日本語から、あまり印象の良くない「ことえり」に変更。
漢字TALK7の頃のことえりはすごかった。なんでそういう変換の仕方になるのか!と罵声を浴びせながらの入力だった。しかし今の時代のこいつはちょっと違う。「ライブ変換」が意外と優秀で、変換操作としてのスペースキーの打鍵をせずともガンガンと自動変換していくのだが、かつてのバカ変換とは雲泥の差。変換修正はほとんど必要がないくらいの快適さ。もう「ことえり」という呼び名ではなくなってしまったのか設定画面にもその名前は出てこないが、試用し始めておよそ3週間。「快適」であるとの判断を得て、この入力で固定する。
おお。ほら、書けた。書き始めたら20分あればここまではこれる。
ゼロイチ(無から有を産む)をとにかく毎日、何がしか、なんでもいいから「世」に残す。気づいたこと、得た知識、残しておきたい様々を発信、もしくは書き留めていこう。このブログの趣旨に立ち返ろう。
お守り折り鶴
折り紙は日本の伝統文化と言っていいのだろう。
一枚の紙から3Dオブジェクトを「折る」という動作だけで仕上げてしまう。
中でも折り鶴は最もポピュラーで、その形状のリアルさ、美しさから「千羽鶴」という勝利や快癒などの「祈り」の象徴にまでなってしまう。
おそらく日本で生まれ育ったなら誰でも(今の世代は分からないけど…)小さい頃に一度は折ったことのある折り鶴。しかし唐突に今、もう一度折ってみて、と言われてもなかなかに仕上げることが難しい。
だからこそ「祈り」を込めてひとつひとつ折り上げていく折り鶴には「願い」も込められるのかもだろう。
この折り鶴に、例えば仏様の言葉、文字である「梵字」を心込めて記したとしたら…
この歳になって、人に頼ることのほうが多くなり、「感謝」することのほうが多くなってきました。
そんな人たちに何かの「形」で表すことができたら…と、本当に「思いつき」で始めてみることにした「梵字」の学習。
難しい分野なので、挫折するかも知れない。あるいはまた別の形のものが見つかるかも知れない。
それまではここに記録を残していこう…ということで予め逃げ道を作っておきます。(本当、飽き性なので)